あまりにも純粋に、
とある質感を内省的に探究してきたがために、
この裏合氣道は外にはあまり拡張せず、
限られた人数で、限りなく深く研究されてきた。
当初本部道場の近くには、ロシア大使館もあり、
ロシア人の生徒もいたという。
気のせいか、昔習っていたシステマのワークのと同様のワークがいくつかあった。
このシンプルでいて深い裏合氣道の教えは、
とても繊細な感覚と、最初なかなか理解できない分、
”信じる”という能力を求められる。
この”信じる”という能力は極意を会得するにはとても重要なポイントになる。
この能力がないと、どういうことになるか、、
ひとつは、自分を疑い始める。
もうひとつは、この合氣道自体を疑い始める。
無かったものとして、忘れようとして、他の武道へ行く。
さて、
話を元に戻すと、
純粋に、あまり拡張せず、内省的に探究され続けてきたこの合氣道であるがゆえに、
各武道で形だけで残っている様々な形の本当の意味が理解できる。
例えば、
合気会の本部で上位の師範の方の剣の説明の際、
正眼の構えで剣先を右に傾けている植芝盛平翁の写真について、
その理由をその師範は、知らなかった。
その師範は別の有名流派の剣術を習っていて、それを教えていた。
そこの剣術の中には、それを理解するだけの教えがなかったのだ。
まして、合気会の中でその教えが伝わっていない。
でも、その解答が、ここの裏合氣道には、、ある。
昔、日本本土に沖縄から空手(当時は唐手と書いた?)が伝わった時、
本土の剣術家はことごとく敗れたという。
その中で、本当に理解している剣術家にとっては敵ではなかったという話も聞く。
その理解とは何か、、
その理解するための、考え方をここの裏合氣道は持っている。
本来、
格闘のセンスをもち、性格的にも適正があり、壮絶な数の死闘や試合の末、
その中で、運よく生き残り、
ヒントとなる教えを得られる出会いもある、、、
そういう、とてつもなく低い確率の中で、極意は得られると考えられがちだ。
決して、そんなことではないという、
そういうノウハウをここの裏合氣道は知っている。
極意には口が堅かったという佐川幸義先生のいう「真の合気」のヒントになるかも知れない、
その切り口をここの裏合氣道はオープンにしている。
そういうことなのだ。
そんな裏合氣道の存在自体を、いままであまり、発信されていなかった。
それを今回の合氣道セミナーではお伝えしたいと思ってます。
合気会の教えを理解するためにも、
大東流の合気を理解するためにも、
空手の入身を感得するためにも、
剣の先の先の意味を確認するためにも、
これを習わない理由がない。
まさに母体武道であるが故だ。
文章では伝えきれないので、是非ともセミナーにて。
ここで確認してください。